【歴史雑学Q】なぜ群馬県庁は前橋市なのか?
群馬県の県庁所在地は前橋市ですが、前橋に決まるまで色々と紆余曲折がありました。
群馬県の2大都市といえば前橋と高崎で(歴史の古さから言えば桐生市もあります)、 結果として県庁が前橋に置かれた為、高崎市の前橋市へのライバル心は今も強いものがあります。
と、いうことを前提として今日の問題です。
問2.群馬県庁が前橋に置かれている理由を答えなさい。
A.そもそも前橋は旧名を厩橋と言い、室町時代から地域行政の中心として栄えた。
一方、高崎は江戸時代直前に破却された古城跡に作られた新設城下町であり、歴史的な伝統から前橋が選ばれた。
B.前橋の領主は越前松平氏の流れで、維新時に功績があった大名であった。
また、松平家はそれまで川越城を居城としていたが、幕末期に前橋城を大修復して移動しており、地域の行政拠点としてはもっとも新しい都市になっていた点もあげられる。
C.廃藩置県時の群馬の県庁所在地は高崎であったが、高崎城に陸軍の鎮台分営が置かれ、追い出される形で前橋に移動した。
その後、また高崎に戻ってきたが、城が使えない為に県庁施設を収容する建築物が確保できず、前橋に戻されてしまった。
D.群馬県には利根川という大河が横断しており、首都東京からの利便性を考えると高崎に置くのが良いとされたが、群馬県全域を管轄する上で高崎は南に位置しており、 比較的群馬中心の前橋が選ばれた。
一つだけが当たりではなく、もっとも重要な理由を選んで下さい。結構難しいかとw
群馬県の2大都市といえば前橋と高崎で(歴史の古さから言えば桐生市もあります)、 結果として県庁が前橋に置かれた為、高崎市の前橋市へのライバル心は今も強いものがあります。
と、いうことを前提として今日の問題です。
問2.群馬県庁が前橋に置かれている理由を答えなさい。
A.そもそも前橋は旧名を厩橋と言い、室町時代から地域行政の中心として栄えた。
一方、高崎は江戸時代直前に破却された古城跡に作られた新設城下町であり、歴史的な伝統から前橋が選ばれた。
B.前橋の領主は越前松平氏の流れで、維新時に功績があった大名であった。
また、松平家はそれまで川越城を居城としていたが、幕末期に前橋城を大修復して移動しており、地域の行政拠点としてはもっとも新しい都市になっていた点もあげられる。
C.廃藩置県時の群馬の県庁所在地は高崎であったが、高崎城に陸軍の鎮台分営が置かれ、追い出される形で前橋に移動した。
その後、また高崎に戻ってきたが、城が使えない為に県庁施設を収容する建築物が確保できず、前橋に戻されてしまった。
D.群馬県には利根川という大河が横断しており、首都東京からの利便性を考えると高崎に置くのが良いとされたが、群馬県全域を管轄する上で高崎は南に位置しており、 比較的群馬中心の前橋が選ばれた。
一つだけが当たりではなく、もっとも重要な理由を選んで下さい。結構難しいかとw
この記事へのコメント
一番ショボショボな理由でありながら
明治の臭いが一番します
Cが正解です。achtungさんの仰る通り、この時代の歴史ってこんなショボい理由で動くことが結構多いです。
県庁所在地はそれぞれ面白い歴史があるので調べるのは結構楽しいもんです。